content_pasteM&A考察

セブンイレブン・ジャパンが米セブン本社を買収するまで


今回はアメリカで生まれたセブンイレブンがなぜセブンイレブン・ジャパンに買収されたのか、当時米セブン本社はどのような経営状態にあったのか、セブンイレブン・ジャパンの誕生とともにその背景を紹介します。また2016年4月に退任したコンビニの生みの親、セブン&アイの元CEO鈴木敏文氏も紹介します。

米セブン本社の誕生と経営破綻

米セブンの前身であるサウスランド社

1927年、アメリカのテキサス州ダラスで製氷会社4社が合併して、サウスランド・アイスカンパニーとしてセブンイレブンの前身は設立されました。当時電気冷蔵庫が普及していなかったなかでサウスランド社は氷販売店として始まりました。氷販売店として経営するなかで来客者から食料品や調理器具などの日用品を扱ってくれると便利だ、という声から「セブンイレブン」が生まれました。

1980年代から始まったサウスランド社の経営危機

サウスランド社は第2次大戦後の1960年代から急成長し、1986年12月の決算時には売上高1兆3607億円、税引き前利益が477億円の優良企業となりました。しかし同時に1980年代のサウスランド社にはすでに経営危機の波が迫ってきていました。

要因は主に、

①商品構成の変化

②ガソリン販売の増加

③コンビニエンスストア業界の競争激化

にありました。1970年代から、消費者の購買行動の変化とともに、中心商品であった食料雑貨や乳製品の売上が徐々に低下。さらにファストフードが1970年代から80年代に伸びたことも影響を及ぼしました。

ガソリン販売は1973年の石油危機以後、石油価格の高騰とともに増加しましたが、子会社のシトゴ石油会社の石油価格の暴落により、サウスランド社は大きな損失を被りました。

またアメリカ社会に定着したコンビニエンスストアのサークルKの発展や石油企業のコンビニ事業進出、コンビニ間の価格競争によって収益は悪化していきました。

ハワイ・セブンの譲渡とサウスランド社の破綻

1989年11月、サウスランド社はセブンイレブン・ジャパンにハワイのセブンイレブン事業(直営店58店)の譲渡を行いました。セブンイレブン・ジャパンが譲り受けた理由には、ハワイに来る日本人がハワイのセブンイレブンを見て、日本のセブンイレブン自体のイメージまで悪くなるのを防ぎたい、という狙いがありました。

しかしサウスランド社の経営は、これらの手段でも功を奏さず、1989年12月、イトーヨーカドーグループに再建の救済を求めました。これによりイトーヨーカ堂側は、サウスランド社の破綻により資本・経営参加することを決定。1991年、イトーヨーカ堂とセブンイレブン・ジャパンにより、経営破綻したサウスランド社は買収され、サウスランド社の再建が始まりました。

セブンイレブン・ジャパンの誕生

セブンイレブン・ジャパンは創業者、鈴木敏文氏によって生まれました。当時鈴木氏はイトーヨーカ堂で新事業の責任者としてプランニングのため、アメリカに外食レストラン・デニーズ社との交渉のため訪れていました。そこでセブンイレブンと出会った鈴木氏は「日本でビジネスになる」と考え、サウスランド本社に向かい提携交渉を行いました。

交渉は難航しましたが成立し1973年11月に株式会社ヨークセブンを設立しました。翌1974年5月には日本第1号店である豊洲店がオープンされました。1978年1月には商号を今の株式会社セブンイレブン・ジャパンに変更、翌1979年には※Kマートを抜いてコンビニ業界の売上で始めて1位になりました。

※1970年代NAC、Uマートと並ぶ代表的なコンビニエンスストアチェーン。ファミリーマートに吸収合併されたサークルKサンクスとは無関係。

米セブン本社の買収

買収スキーム

1990年12月13日、サウスランド社に出資するため、現地法人IYGホールディングス社を設立。イトーヨーカ堂が51%、子会社のセブンイレブン・ジャパンが49%出資しました。そして1991年3月、IYGホールディングスが4億6000万米ドル支払いサウスランド社の発行済株式70.04%を取得。この買収に関してサウスランド社が山一証券を、イトーヨーカ堂グループがメルリリンチ証券を互いに相手国のアドバイザリーを選定しました。この理由として、当時三菱地所がロックフェラー・センターの買収などの、日本企業のアメリカ企業買収に敏感になっていたことがあげられます。

3月20日から取締役会がアメリカと日本で交互に計8回行われました。サウスランド社の取締役のなかにはイトーヨーカドーグループから常勤取締役は1人も入りませんでした。これにはサウスランド社の再建はアメリカの経営者自らの手で直接行われるべき、というイトーヨーカ堂グループの判断があったことによります。会長にはイトーヨーカ堂社長の伊藤雅俊氏が就任、セブンイレブン・ジャパンの鈴木敏文氏は副会長に就任しました。また社長兼CEOには前サウスランド社副社長のクラーク・マシューズ・ジュニアが就きました。

米セブンの完全子会社化

IYグループとしてイトーヨーカ堂を中核にセブンイレブン、デニーズを経営していましたが、イトーヨーカ堂の業績が伸び悩み、セブンイレブン・ジャパンの株式時価総額が親会社であるイトーヨーカ堂を上回ったため、当時起こったライブドアのニッポン放送敵対的買収事件の二の舞を防ぐ対策案として、2005年9月1日、新たに持株会社「セブン&アイ・ホールディングス」を設立しました。またグループの代表取締役会長兼CEOに鈴木敏文氏が就任しました。さらに同年11月9日TOBによりアメリカ法人の7-Eleven,Inc(米セブン)をセブンイレブン・ジャパンが完全子会社化しました。

鈴木敏文氏の辞任

2016年4月7日、セブンイレブン・ジャパンの創業者であり、セブン&アイ・ホールディングス代表取締役会長兼CEOである鈴木敏文氏がセブンイレブン・ジャパンCOOの人事案を巡る騒動で辞任に追い込まれました。また鈴木氏には役員退職慰労金としてセブンイレブン・ジャパンから5億9600万円、イトーヨーカ堂から5億200万円が支払われました。なおグループの代表取締役社長には井阪隆一氏が就任しました。

2017年の有価証券報告書で鈴木氏の辞任以後のセブン&アイ・ホールディングスの業績は、コンビニ、スーパー、金融事業の増益により6年連続で過去最高益を記録した一方、スーパー事業と百貨店事業の店舗に係る減損損失や、百貨店事業に係るのれんの減損損失等を含む特別損失の計上により営業利益は前年同期比(60.1%)と発表されました。2018年には国内出店数が小売業界初となる2万店舗を達成する一方でイトーヨーカ堂などのGMS事業の業績が回復する見通しが立っていないことなど、鈴木氏退任後のセブン&アイグループには依然として大きな課題が残っています。

ライター:豊福ジャン (M&Aクラウドリサーチャー)